

梅雨の晴れ間に誘われて、
8月公演「大都会の蝉」が生まれた場所、
新宿中央公園でぶらりお散歩。
とてもよく整備された公園です。
かち歩きのスタートで集合した記憶がありますが、
以前より随分整えられたのではないでしょうか。
流石都庁の隣…。
無機的な都庁舎に覆われているせいか、人の体温が感じられないのは気のせいでしょうか。
ところで、
来週、講師をさせていただいている朗読の会で
森鴎外の「高瀬舟」を朗読します。
10年以上お世話になった朗読の会の最終回。
初めて伺ったときにも自己紹介代わりに朗読した作品です。
図らずも、「高瀬舟」と「大都会の蝉」が符合するところがあるように感じています。
江戸時代、弟殺しの罪で島流しとなり、送られる高瀬舟の上で、どうにもならない辛い生い立ちの我が身を語る喜助。
現代、なぜか公園のベンチに集まり、行き場がなくなった自分の人生に区切りをつけようとする「大都会の蝉」たち。
どちらも「不思議」という言葉が使われています。
不思議を不思議として受け入れる心の余白。
人生に絶望したくなる行き詰まりのなかでは、とても難しいことかもしれません。
公演まで考えてみます。
「高瀬舟」を改めて読みなおしてみて、
考えること、読みも、十年前とは変わってきたと気付きます。